2016年3月19日
だいぶ春らしくなってきた今日この頃でございます。
最近は花粉症の症状が出始めております。今まではそんなに花粉症という自覚はなかったのですが、最近は目がかゆくなったり鼻水が出てきたりと自覚症状が出てきている今日この頃でございます。
さて、雑談コーナーではありますが、今日は山のことを書かせていただきます。タイトルはズバリ「すべての事には裏がある」
何のことかと申しますと、山頂に必ず立っている道標。普通なら文字が書いてある面を写真で撮るのが当たり前でございます。頑張って登頂した記録を残すためにも◯◯岳といった文字と共に自分の姿を写真撮影するのが山頂でよく見られる光景でございます。
しかしながらこの道標というのは正面から撮らなければならないという決まりはございません。横からでも上からでも裏からでも、それは撮影者の自由でございます。私もこの道標を少しでも威厳がありカッコよく写すために、少し斜め下から撮るなどしております。
数々の道標を撮影している中でふと頭に浮かんだのは、道標を裏側から撮るとどんな感じなのだろうかということでございました。もしかしたら、我々が想像していなかった何かを見出すことができるのではないか、裏側から映し出されるその世界に何かの魅力があるのではないか。このような普通の思考回路を持つ人なら考えもしないくだらない理想の元、今回の登山でそれを実行に移してしまったのであります。
西穂高岳の稜線は西穂山荘から山頂まで全部で4つの道標がございます。では順番に見てまいりましょう。
まずは最初の山頂となる丸山でございます。
通常正面から撮りますと笠ヶ岳の堂々とした姿やその稜線を捉えることができるのですが、裏側から撮りますと、当然ですがその反対の稜線が映し出されます。ちょうど霞沢岳とその稜線になるのでしょうか。この写真は実は下山時に撮ったので雲がかかってしまってますが、早朝は雲ひとつない綺麗な青空でございました。
丸山の道標はこちら側からだと単なる木の棒のような姿でございますが、これがまた哀愁を漂わせておりましてなんとなく絵になるような気がいたします。この時期は特に吹雪にさらされることが多い丸山の道標。それに耐え抜いてきた勇者の後姿には何か惹かれるものを感じるのであります。
次は独標でございます。
本当ならもう少し引いて撮りたかったのですが、ご存知のように西穂高岳独標の道標の裏側に回って撮影するというのは命がけの行為でございまして、この絵が精一杯でございました。
こうやってみてみると、逆光にはなってしまいますが、前穂高岳から明神岳に至る稜線をバックに撮ることができ、意外に絵になるのだということがわかります。独標からの写真はもう撮りつくした感じがございましたので、これはある意味非常に新鮮であり、斬新でもある素晴らしいショットになりました。
道標の裏側は縦に切れ目が入っており、これは木が割れないようにあえて切れ目を入れているのかどうかわかりませんが、新たな発見をさせていただき感激しているところでございます。
次はミラミッドピーク(第8峰)でございます。
本来なら道標が立っている場所が峰の一番高いと部分でございますが、この時期は雪が積もりに積もって写真左手の部分が高く盛り上がっております。
焼岳や乗鞍岳の山頂部分が一望できますが、地形の関係上目下に広がる上高地や大正池は見えません。やはりピラミッドピークはそこに立って初めて見えてくる西穂高岳の稜線の最終部分の姿が印象深いため、裏側から見る景色は一歩引くものがございます。
それでも普段撮ることがないこの方面の画像は新鮮さを感じずにはいられません。
そして西穂高岳山頂でございます。
雪も積もっているためか、なんだかとてつもなく標高の高い山に登ったような感じがいたします。先ほどの独標とほぼ同じ角度からの写真になるわけですが、標高が200m以上違いますと、見えてくる景色もここまで違うのだということに感動を覚えるのでございます。
通常は丸山や独標と同様、笠ヶ岳の稜線をバックに映し出されるのですが、霞沢岳方面をバックに映し出される道標の姿はまた凛としていて、さすがは穂高の山頂の道標だと感激致します。
このように少し視点を変えて映し出したところに、普段とは違う世界が見えてきたような気がいたしました。
こうやって振り返って見てみますと、「だから何?」という気がいたしますが、それなりに自己満足を得ることができたものと解釈しております。
最後になりましたが、本文でも少し触れましたが、この稜線で道標の裏側に回り込むという行為は大変危険な行為でございます。山頂においては死ぬような思いをいたしました。皆様におかれましてはこのような愚行をならさらないように強くお願い申し上げます。
2016年3月19日