2016年3月5日
街中におりますとだいぶ春が近づいたと感じるこの頃であります。
もちろん穂高連峰はまだまだ冬の世界ですが、さすがに3月になりますと1月2月の頃とはなんとなく違うような雰囲気が感じられるところでございます。気象庁的には冬というのは2月末で終わりなのだそうですね。
さて、そんな春が近づいた今日この頃、私は有楽町朝日ギャラリーで開催されている「天野喜考展」に足を運んでまりました。
天野喜孝と言ってもピンとこない方も多いと思いますが、あの不朽の名作「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインを担当された方だというとお分かりになる方も多いのではないでしょうか。
当時はドラゴンクエストのキャラクターイメージが強くて、天野氏のキャラクターは斬新なイメージがありましたが、今となってはその独特な雰囲気がゲームの内容と微妙にリンクするような気がいたします。もはや天野氏のデザインはファイナルファンタジーシリーズにはなくてはならない存在であるのは言うまでもありません。
さて、入場料を支払って早速ギャラリーの中に入っていきます。入る際に注意事項を確認されます。「撮影は自由ですが、次の3点をお守りください」と念を押されます。「フラッシュを使わない」「作品に手を触れない」後1点につきましては完全に忘れてしまったのであります。
実際に中に入って見てみるとやはりファイナルファンタジー関係の作品が大半を占めているようでございます。なのでこれ以降の説明もファイナルファンタジー関係のマニアックな話になる危険性が十分にございますので、何卒ご注意いただきたいのであります。
さて、まずはきました懐かしのFF1でございます。
このころのデザインはまだまだ「らしさ」がないように感じるのは私だけでしょうか。FF1というゲーム作品は今考えると大変よくできた内容だと思っております。もちろん最新作と比べればストーリー性は乏しいと言われても仕方ありませんが、当時の他の作品のレベルを考えてみますと内容的に大変素晴らしいものであったように感じるのであります。
当時はファミリーコンピューターの時代でございました。それこそ今では一般的になった赤・白・黄のビデオ入力すらなかった頃でございます。話はそれますが、アポロ宇宙船が月面着陸した時のコンピューターの性能というのはファミコンと同レベルであったようでございます。コンピューターの進化というのは凄まじいものであります。
さて、次に目に飛び込んできたのは「オチュー」という名前のFFシリーズを象徴するような敵キャラクターでございます。このオチューはFFの最新作にもほぼ同じデザインで登場しており、逆に考えてみますと30年前のデザインが未だ通用しているのは当時のデザインのクオリティーがいかに高かったかということの証明にもなるのではと考えております。
今ではゲーム機も進化し、オチューも3Dで表現される時代となりました。ゲーム中では「暗闇」「混乱」など状態異常を引き起こす攻撃をしてくる非常に嫌な敵でございますが、こうやって天野氏の原画を見ていると、それすら超越して親近感が湧いてくるような気がいたします。
お次はFF2でございます。FF2という作品は初代に比べるとストーリーがとてもシリアスでございました。 世界征服を企む帝国と対峙する諸国家の滅亡と反乱を描いたストーリー。その中で描かれる人間の葛藤は当時の子どもたちの涙を誘うものがございました。今ではiPhone等のアプリでリメイク版をプレイすることができますが、できれば最新のゲーム機でフルリメイクしていただきたいものでございます。
写真はそんなシリアスさを象徴するかのような登場人物「レオンハルト」。FF2を最初に始めるといきなり戦闘になります。どう考えても勝てるような相手ではなく、見方は全滅しゲームオーバーのミュージックが流れます。もちろん本当のゲームオーバーではございません。この最初の戦闘に参加していた人物の一人がレオンハルトでございます。この戦闘の際にレオンハルトは行方不明になり、後にゲームのストーリー上で衝撃的な再会を果たすこととなるのでございます。
FF2はキャラクターの成長システムも特徴的なものがございました。例えばHP。通常ですと戦闘を何度もこなしていくとキャラクターのレベルが上がりHPも増えていくわけですが、このFF2においては、攻撃を受けてHPが減ると攻撃を受けたキャラクターの最大HPが上昇するという特徴的なシステムでございました。そこで、世の中が生み出した究極の成長方法が「味方同士で殴りあう」という奇抜な手段でございました。これによりストーリー序盤であるにもかかわらずHPが驚くべき値になることが可能となったわけでございますが、ある程度HPが上がると今度は味方を殴っても強すぎてHPを減らせないという事態が発生致します。ここで役立つのが「ブラッドソード」という武器でございます。これは敵の防御力を無視してダメージを与えられるという優れた武器で、この武器によりキャラクターのHPをシステムの限界まで上げることが可能になったわけでございます。
同じくFF2の登場人物の一人である「ヨーゼフ」でございます。人望が厚く大変有能な登場人物でございました。この原画を見たときに思いが込み上げてしまいました。
ヨーゼフには何よりも大切な「ネリー」という名の一人娘がおりました。娘も父ヨーゼフのことをいつも気にかけており、それは娘との会話からも大変よく伝わってまいります。
ストーリー上、封印されたカシュオーン城の扉を開ける必要が生じ、この封印を解くための鍵である「女神のベル」を入手するため一行は「雪原の洞窟」に向かうことになります。最奥にいた強敵「アダマンタイタイ」を倒し女神のベルを手に入れた一行は、もう少しで洞窟の出口という場所で、敵の罠にかかり大岩の下敷きとなり全滅しかけます。
しかし同行していたヨーゼフは岩をくい止め、自分が岩を抑えている間に脱出するよう叫びます。「お前を置いていけない」と一行は手助けしようとしますが、ヨーゼフは早く行けと促し残された一行は脱出します。「後を・・・頼む・・・ネリー!」そう言い残して力尽きたヨーゼフは岩の下敷きに。
町に戻った一行は娘ネリーに起きたことを話すわけですが、ネリーは取り乱すことなく一言「お父さんは もう帰ってこないのね・・・」。美辞麗句を言うよりもこのシンプルな一言がかえってグサリと胸に突き刺さるのであります。帝国に滅ぼされ今でも苦しめられている諸国家の民のためならば自らの命を投げ打つことに些かのためらいもないという実直な人間性が現れたイベントでございました。当時のファミリーコンピューターという表現力が極めて限られていたゲーム機ではありましたが、十分すぎるほど伝わってまいりました。
なお、このイベントは後のFF9のとある場面で回想シーンとして登場いたします。
こちらは「アーリマン」というFFを代表する敵でございます。「デス」「死の宣告」など即死攻撃をしてくる非常に厄介な敵でございます。一部デザインが変わったシリーズがありますが、歴代のFFで同じデザインで登場いたします。こうやって見てもとてもよくデザインされているなと感じます。
FF5のラスボスとなる「エクスデス」でございます。ゲーム中の戦闘画面ではほぼこのデザイン画通りのイラストで登場いたします。何よりも印象的なのはストーリーの中盤を締めくくるイベント「長老の木」での「ガラフ」との決戦でございました。プレイヤーは実際にガラフを操作することができ、プレーヤー参加型のイベント戦でございました。エクスデスとのレベルの差は歴然で、ガラフのHPはすぐに0になってしまいます。しかし、「まだまだ! まだまだ死ねぬのじゃ! この命燃え尽きても! わしはきさまを倒す!!」という名ゼリフを述べHP0になっても立ち向かっていくガラフ。「怒りや憎しみでわしを倒すことはできぬ!」と語るエクスデスに対し「・・・怒りでも・・・憎しみでもない・・・」と応答するガラフ。「では、何だと・・・」と言い残し倒れれるエクスデス。
エクスデスを倒したことを確認したガラフは最期を迎えたのでございます。
FF5は他のシリーズと比べると味方がほぼ固定されているため、このイベントでガラフが最期を迎えメンバーが孫の「クルル」に入れ替わるのが非常に衝撃的でございました。
こちらはFF6。ファミコン(スーパーファミコン)時代の最後の作品でございます。写真はゲームのパッケージイラストの原画でございます。FF6はスーパーファミコンの性能の限界まで屈指した作品だと聞いております。グラフィックが以前の作品と比べると格段に向上したのにびっくりした記憶がございます。
グラフィックの向上により一層天野氏のイメージの世界に近づいていくことができたのではないかと考えております。
この原画を見てびっくりいたしました。
何とFF7のイメージ画が存在していたのだということに大変衝撃を受けたのでございます。FF7以降の作品につきましてはプレイステーションへ移行し、その表現力の無限の可能性が話題となっておりました。戦闘画面の3D化など衝撃的なニュースが飛び交ったのを憶えております。そちらの方面があまりにも注目されすぎたためか、天野氏のイメージデザインについてはほとんど触れられていなかったため、FF7については氏のデザインはないのかと思っておりました。
この原画では主人公の「クラウド」、ヒロインの「エアリス」と思われる人物、「レッド13」と思われる生き物が描かれております。
これは私の勝手な予想でございますが、当時の技術では天野氏のデザインをそのままゲーム中の人物のイメージに反映させるのが難しかったのではないかと想像いたします。またそれ以降の作品を見ていても、例えば今はプレイステーション4の時代で人物の顔のシワの一つまで描きこむことが可能な時代ですが、天野氏のデザインをそのまま100%持ってきているわけではないことを考えてみますと、ゲーム中のキャラクター画像と、イメージデザインとしての天野氏の画像とは切り分けて考える必要があるのではないかと考えております。
こちらも貴重な原画であります。
FF7のクラウドとエアリスの天野氏デザインでございます。素晴らしい絵でございます。
アニメ調のキャラクター画像が主流で出回っております。もちろんそれはそれで良いのですが、私はFFブランドということを考えると、こちらの天野氏の原画の方が説得力があると思っております。
ちなみに皆さまご存知のようにFF7はプレイステーション4でリメイクされるそうでございます。私も少しプロモーションを拝見いたしましたが、技術の進歩は目をみはるものがございます。一体我々はどこまで行ってしまうのでございましょうか。
こちらはFF12でございます。帝国のジャッジと呼ばれる役人ですが、ゲーム中ではほぼ同じデザインで登場いたします。これは天野氏のデザインだったのですね。知りませんでした。どおりで重厚で存在感があると思っておりました。
FF12はシリーズの中でも一番好きな作品でございます。どちらかというとFF2に通じたものがあるかもしれません。もしFF2の時代にプレイステーション4のような技術があれば恐らくF12に近い作品が出来上がっていたかもしれません。
FF13のライトニングの原画でございます。
このライトニングは先日あのルイ・ヴィトンのモデルに起用されたということで界隈では大きなニュースとして取り上げられたことは記憶に新しくございます。ゲーム中の3Dキャラクターがヴィトンのモデルになるような時代でございます。実際百貨店等に行きますと、ヴィトンのコーナーにはヴィトンをまとったライトニングの姿を拝見することができます。
やはり原画は天野氏でございましたか。
FF7以降、天野氏のイメージキャラクターが私たちの目に触れる機会が少なくなってきております。プレイヤーがゲーム中のヒーロー、ヒロインに求めるビジュアルと天野氏の作品イメージをどのように融合させていくのかが課題なのでしょうか? むしろ私としては天野氏の作品は変わることなく氏の作品であり続けていただきたいと願っております。
FFの製作者であるスクエア(当時名称)はプレイステーションが世に出た際のインタビューで、素晴らしい機材が登場したと述べるのではなく、「やっと私たちがやりたかったことができるようになった」と述べていたのを覚えております。それだけ最初から目指していた目標が高かったのであり、それゆえ作品も単なる人気を得るためだけのものではなく、今振り返っても通用するような内容であったわけでございます。
少し話が逸れますが、ノーベル賞で物理学賞や数学賞を受賞される、その対象となった数式は、受賞当時それを理解出来る人は世界に数名しかおらず、時が流れ多くの人が研究しその素晴らしさが徐々に解明されることにより「やっぱりノーベル賞に値する数式だった」と多くの人が理解すると聞いたことがございます。
芸術においてもそれは同じではないかと感じております。例えば平成世代の皆様であれば音楽の時間に武満徹の「ノベンバステップス」という音楽を聴いたことがありましょう。これを聞いて理解できましたでしょうか?? おそら「ちんぷんかんぷん」訳変わらなかったのではないでしょうか。いわゆる現代音楽というジャンルはまだまだ一般的には理解が深まっていないのが現状であります。しかしながら実際には大変奥が深い芸術作品であるとして界隈では評価が非常に高いものであります。20年近く前の話ですが、現代音楽の作者は「現代音楽」というだけでは生活していけないので、多くは映画音楽などで生計をつないでいるなどという話を聴いたことがございます。「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」などの名作を生み出した久石譲も現代音楽で活動されたと聞いております。
つまり今日現在、多くの人の理解を得ることが難しいものであっても、時が経つにつれて人々に理解を得られることができ、改めて素晴らしい作品であったと評価されるものがあるんだということでございます。古くはモーツアルトなどもその一例ではないでしょうか。
ファイナルファンタジーが発売された当時、つまり今から30年ほど前は、その手のゲームにおいては、どちらかというとアニメキャラクターのようなイラストが主流でございました。多少主観はございますが天野氏のデザインはいうなれば斬新すぎるイメージがございました。しかしながら今では天野氏のデザインなくしてはFFを語れないと言う意見が多数を占めているように思えます。やはり時が経つにつれて理解が深まっているのではないでしょうか。
今回天野善孝ギャラリーを訪れて、ファイナルファンタジーの原点を感じることができました。もちろんFF以外にも氏の名作品が展示されておりました。今日の投稿はFFと言う視点から描いておりますのであえて紹介いたしませんが、天野氏のデザインのクオリティーの高さを私なりに感じることができました。残念ながら先ほども書きましたがプレーヤーが求めるものと、氏が本当に表現したいものが完全に一致しないのではないかと思われる瞬間がございますが、天野氏におかれましては引き続き天野氏の世界を貫いていただきたいと考えている次第でございます。
お読みいただきありがとうございました。
2016年3月5日