穂高に魅せられてー「冬」編
「秋」編より続く
Q
それでは穂高の冬についてお聞かせください。
A
最初に言っておきたいのですが、冬山はスリーシーズンと違い冬山に必要な装備や技術・経験がなければ安易に立入るべきではありません。
基本的に冬季に穂高の山に登ることができるのはそれなりの技術や経験を持った人でないと無理です。これは物理的に不可能です。いくら体力があって意気込みがあっても経験者のサポートがなければ無理な話です。
問題は穂高の山でも西穂高岳については例外で新穂高ロープウェイや通年営業の西穂山荘があるため、技術や経験がない、場合によっては装備すらそろっていない人が安易に立入ることができてしまうということです。
2017年はとりわけそれが目立ちました。軽アイゼンで独標に登ってしまい、いざ降りれなくてパニックになっている人、装備は一通りそろっているが怖くて独標上部で動けなくなっている人、ホワイトアウトのため雪庇を踏み抜いて滑落した人などなど。いずれも救助・下山補助をしましたが、もう少し冬山の危険性について認識してほしいと思いました。
独標の隣、第10峰から下山できずに30分くらい格闘している登山者もいました。この時は気象条件や雪のコンディションから独標から先は危険と判断したので中止の決断をしました。その次の瞬間に第10峰で格闘している方が見えたので、心配して見ていたのですが何とか第10峰を降りれました。自分の技術を直視することと撤退の判断は重要なことだと思います。
いきなりこんな話で申し訳ありませんが、命に関わることですから最初に言わせてもらいました。
Q
とても重要なことだと思います。冬山を始めようと考えている人はどういうところで勉強できるのでしょうか。
A
山岳会等に所属して勉強するというのがこれまでの一般的な流れですね。あるいは山岳ガイドの中には個人的に講習をしている方もいらっしゃいますし、最近では西穂山荘でも冬山の安全教室の企画を始められたようです。「バックカントリー穂高」では冬山のみならず登山全般の講習をしています。ロープワークなど専門的な講習過程も含まれるので私自身も受講したいと考えています。今はインターネットやSNSの時代ですから、少し調べればいくらでも情報はあると思います。
2017年1月28日 西穂高岳の稜線を見上げる
Q
綺麗な写真ですね。どこまで登ればこの姿を見ることができますか?
A
実は新穂高ロープウェイ終点の展望台から西穂高岳の稜線がよく見えます。それはそれで圧巻の光景です。この写真の角度から眺められるのは西穂山荘まで登り、さらに山荘裏手の丘を登ったあたりでこの景色が見えるようになります。
Q
この光景が見れるだけでも満足なような気がします。
A
実際にこの少し先に丸山という小高い場所(山)があるのですが、写真のような天候の場合は何の問題もなく行き来できますから、丸山まで行って写真を撮って戻ってくるというかたも多いですね。私も将来年取って元気がなくなっても丸山までは登りたいと思っています。
Q
丸山から先は大変なのですか?
A
技術的には難所ではありません。ただ写真を見てもわかると思いますが長い上りが続くんですね。雪のコンディションが良い時でも一苦労するのですが、コンディションが悪いと斜面を登りきった時には相当疲れ果ててしまいます。
Q
コンディションが良い時と悪い時の違いは何ですか?
A
積雪直後でラッセルになる場合は相当体力を削られます。足元が安定しないので余計な力が必要になり足がパンパンになってしまいます。
Q
多くの方が目標とされる独標はどんなところですか?
A
実は独標はこの稜線の中でも比較的難易度が高い峰だと思っています。
2017年3月17日 稜線から独標を見上げる
西穂高岳の稜線は頂上から数えて全部で大小合わせて12の峰があります。独標は第11峰、つまり頂上から数えて11番目の峰になります。独標を登頂すると道標の隣の岩に「11峰」と書いてあるのはこのためです。この先にはピラミッドピークやチャンピオンピークなど有名な大ピークが控えています。もちろんこれら大ピークは登頂するのに苦労しますが、むしろ第10峰〜9峰間や第7峰などの方が滑落する危険性が高く高難度だと思っています。「ピラミッドピークまで登れれば頂上まで登れる」という人も多いです。
こういった意味で12ある峰を考えて見ると、独標(山荘側)は距離は短いものの高難度の部類に入ると思います。確実にピッケルを使える技術がないと上り下りは困難です。冬季に独標に挑む方はよく覚えておいていただきたいです。
Q
ということは独標は実はかなりの難所なわけですね。
A
基本的にはそういうことです。
Q
何か引っかかる答えですね。「基本的に」ということは例外もあるのですか?
A
あります。3月ごろになると雪が安定して、かつ登山者が多いことから、独標直下は雪が踏み固められて階段状になることがあります。こうなるとピッケルを使わなくても普通に階段を降りるようにして降りれてしまうんです。これは独標に限ったことではなく頂上直下やチャンピオンピーク直下、その他至る所でも言えることです。ですがこのような状態は異常な状態であって本来の姿ではありませんので、これがスタンダードだと思って次回安易な気持ちでくると大変な思いをすることになります。
Q
独標から先は初心者は踏み入れないようにと警告されています。実際にどんな危険性があるのですか?
A
様々な危険があります。代表的なものとして、
2017年3月17日 第10峰より第9峰への難所を見下ろす
この写真は第10峰から第9峰に登り返す部分を撮影したものです。逆にお聞きしますが写真を見て率直に何をお感じになりますか。
Q
これ、すごい絶壁ではないですか?もしかして写真に写っていない反対側も同じような感じなのですか?
A
そうなんです。だから一度滑らせたり転倒したりしたらそのまま谷底まで行ってしまうんです。それだけではありません。写真手前にはトレースがついているのがわかると思いますが、トレースの右側の部分は雪庇です。つまり下には何もないんです。もし雪庇を踏み抜くと、ここは数百メートルの崖になっているので助かる確率は限りなく少ないです。こういった危険性が随所に散りばめられています。
2016年3月12日 西穂高岳第2峰を巻く形となる斜面のトラバース
次の写真はだいぶ先に進み第2峰を巻いて行く形となる斜面のトラバース部分です。写真を見てもわかると思いますが、かなり角度のついた斜面のトラバースになります。ここも何かの拍子に転倒し、初動で静止できなければ谷底まで行ってしまう場所です。写真のように雪がしまっていてアイゼンが確実に効く状態なら良いですが、強風や降雪でパウダーが乗った状態だとスリップする危険があります。一度そういう状態で下山したことがありますが、安全地帯にたどり着くまでは生きた心地がしませんでした。逆に春先は凍結することがあります。危険性についてはもはや言うまでもありませんね。
Q
聞いているだけでも手に汗握ります。
A
やはりコンディションですね。変な話、天候も雪質も最高条件であれば頂上まで登れてしまいます。ですが一度雪質が悪くなると(降雪直後・春先の凍結)独標から先はプロの登山家であっても手応えを感じるような状態になります。登るときはコンディションが良くても下山時には天候が変わり困難になることもあります。
Q
天候の急変は恐ろしいことですよね。
A
急変というわけではありませんが、気象の変化というのは経験があります。2017年のシーズン納めで西穂高岳山頂に登頂して、いざ下山する時に、想定より雲が上がってくるのが早く、第5峰近辺で完全に雲の中に入り視界が悪くなったことがありました。幸いにも雪質に変化はなかったことや、雲の流れで隣の峰まで見える瞬間も多くあり、無事に山荘まで下山できました。これが強風が吹き荒れたり吹雪になったりした場合、本来技術や経験がない人であれば遭難に至る可能性も否定できません。
2017年3月17日 西穂高岳山頂より。この後想定より早く雲が上がってきてしまった
Q
これから冬の西穂高岳山頂を目指そうと考えている方に何か一言ありますか?
A
山岳ガイドを活用してください。冬季西穂高岳はそういう場所です。
Q
「冬」編になって急に安全対策の話になってしまいましたね(笑)
A
いや、むしろそれでいいと思います。安全対策・危機管理の啓発が7割、冬山の美しさを伝えるのが3割で 十分だと思います。
Q
では、その冬山の美しさについてお願いします。
A
きちんとした手順で登った冬季西穂高岳は他では味わうことのできない美しさ神々しさがあります。
2016年3月12日 西穂高岳山頂
西穂高岳山頂からは槍ヶ岳を中心にして左右に名峰が連なっています。その全てが白く覆われていて、まさに青と白の芸術です。冬季西穂高岳に登頂するためには雪と岩のミックス地帯を2時間近く格闘してこなければなりません。ですがいざ山頂に立って眺める神々しい世界はその苦労に報いる以上の達成感や感動を与えてくれるはずです。
2017年1月28日 西穂高岳山頂よりジャンダルムを望む
ひときわ大きく目立つのはジャンダルムです。その左奥には涸沢岳が見えています。涸沢岳から左にずっと伸びているのが涸沢岳西尾根です。ここが冬季穂高にアプローチする冬ルートになります。西穂高岳で訓練を重ね、次なるステップとして考えてみるのも良いかもしれませんね。
2017年1月28日 西穂高岳山頂より乗鞍岳を望む
振り返れば手前の焼岳はすでに目下の存在、遠く乗鞍岳が雄大に広がっています。乗鞍岳の左奥には御嶽山も見えています。いつまで見ていても飽きません。
Q
最後に冬山の魅力とは?
A
写真にあるような美しい光景ももちろんですが、吹雪のような荒天や快晴で美しい峰々が姿を見せる瞬間などは、すべての登山者に平等であるということです。
身分の高い方、お金持ちの方の周辺だけ晴れたり風が穏やかだということはありません。一度暴風雪になれば穂高の山は身分に関係なく登山者に襲い掛かります。一度天候に恵まれれば全ての人が素晴らし景色を楽しむことができます。写真のような素晴らしい天候の時に独標の頂上で「素晴らしい景色ですね〜」「いや〜、苦労して登ったかいがありましたよ!」なんて会話しているその相手はもしかしたら社長さんや身分の高い方なのかもしれません。でも独標の頂上でそんなことは全く関係ありません。
登山を終えて下界に戻れば、聞こえてくるのは格差社会、差別、偏見といったことばかりです。独標という困難な壁は超えられても格差という見えない壁は超えられないのでしょうか。もちろん全ての人がそうだとは思いませんが。
暴風雪を受けながら独標に登っていると、人間というのは大自然の中では小さい存在なんだなと思います。ある意味謙虚さとは何かを教えられるような気がします。
実は私自身、歩んできた人生は皆様より一歩引くものがありますし、それゆえに輝かしい未来というのもありません。一時は地獄の底のような世界を歩みました。それでも平等に、時には暴風雪で叱咤激励し、時には快晴で神々しい姿を見せてくれる穂高の峰々に心から魅力を感じています。
これからも冬の西穂高岳に挑み続けると思います。
Q
ありがとございました。
A
こちらこそありがとうございました。